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長野地方裁判所上田支部 昭和57年(わ)170号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

第一本件公訴事実

本件公訴事実は次のとおりである。

被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和五七年七月九日午後七時一五分ころ、普通貨物自動車(ライトバン・長野四四ひ六七七二号)を運転して長野県埴科郡坂城町大字南条二三三〇番地一同町金井地区麦大豆等生産振興センターに至り、塩入豊子(当七五年)を乗車させたうえ、方向転換のため、同センター玄関前から斜め右後方の同センター建物南側駐事場に向け後退しようとしたが、その直前、右塩入が栗林ふ志(当七四年)を呼び寄せ同乗させようとしていたから、後退時には、同女が自車の後方に接近していたことが予測されたので、後退にあたつては、後方を後部窓及びバックミラーを通して見るほか右側窓からも顔を出して見るなど、後方の安全を十分確認しつつ最徐行して後退すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、後退を始める際に後部窓を通して後方を一べつしたのみで後方を十分確認をしないまま漫然時速約五ないし六キロメートルで後退した過失により、前記駐車場中央付近を後退中、同所に来合わせていた前記栗林に気づかず、同人に自車の後部を衝突・転倒させたうえ車両底部で強圧し、よつて、同人に左鎖骨々折、左第3・4・5・6・7・8肋骨々折等の傷害を負わせ、翌一〇日午後三時四三分ころ、同県更埴市大字杭瀬下五八番地更埴中央病院において、同人をして、右傷害による肺損傷に基づく出血による失血死に至らしめたものである。

なお、検察官は、被告人運転の車両後部と栗林ふ志との衝突の態様について、「立つている被害者の大腿部背面に右車両の後部バンパー付近が衝突した。」と釈明した。

第二当裁判所の認定した事実及び判断

一本件事故の発生

(1)  被害者の発見

〈証拠〉によると、次の事実が認められる。

昭和五七年七月九日午後八時二〇分頃、栗林ふ志(以下「被害者」という。)は、長野県埴科郡坂城町大字南条二三三〇番地一の金井地区麦大豆等生産振興センター(以下「センター」という。)の敷地内(以下「本件現場」という。)で倒れているところを、栗林み、塩入豊子、塩入芳二らにより発見された。右センターは、その北側、東側、西側の三方に高さ約一・二メートルの金網のフェンスが張りめぐらされており、南側が町道南三七号線に面しており、敷地内の北側にセンターの建物が、南東隅に消防器具置場の建物が建てられていて空地の部分には砂利が敷かれ駐車場として使用されているものである。被害者が倒れていた地点は、概ね別紙図面記載A地点である。被害者は右A地点において、頭を南西に向け、顔を南に向け、体をやや「くの字」に曲げた状態で、右側を下にしたうつ伏せの恰好で倒れていたもので、発見された当時浅く呼吸をしており、脈はあつたが意識はなかつた。被害者は折柄の雨に打たれてびしよ濡れであり、頭には帽子とタオルが乗つている状態で、頭の付近には所持していたと思われる手提袋、ビニール袋、潰れている缶入ジュース等があつた。

(2)  被害者の死亡

〈証拠〉によると、次の事実が認められる。

被害者は、同日午後八時五〇分本件現場に到着した救急車に乗せられ、午後九時一五分更埴市大字杭瀬下五八番地更埴中央病院に収容された。救急隊員は被害者の外傷に気がつかず、交通事故による負傷とは考えなかつた。同病院の当直医師四柳関郎が被害者を診察したところ、意識がなく失禁しており、血圧が五〇―一一〇とやや低く瞳孔反応はあり、脈は弱く頻脈で、呼吸は比較的早く心音に異常はなかつた。同医師は脳血栓と判断し、強心剤とぶどう糖を注射し、点滴を行い、抗生物質等を投与し、酸素吸入を行つた。出血はなく、外傷には気がつかなかつた。翌七月一〇日午前九時頃、被害者は依然意識がなく、看護婦が衣類を取り変えた際始めて外傷を発見し、骨折の疑いを持ち、胸部レントゲン撮影及び頭部断層撮影を行い、大西雄太郎医師が診断した結果頭部には異常はなかつたが、胸部には左鎖骨々折及び後記肋骨々折があり肋骨々折により気胸、血胸状態となつていることが判明した。被害者は、同日午前一一時五〇分呼吸困難となつたので、気管切開手術を行い、午後三時一五分血圧降下、心臓マッサージを施したが、午後三時四三分死亡した。死因は、急性外傷性呼吸不全(肋骨々折、外傷性気腫、気胸、血胸によるショック)と診断された。なお、死亡診断書に記載された傷害発生時刻は、家族から被害者の前日の行動を聞いて推定したものである。

(3)  被害者の傷害の部位、死亡原因等

〈証拠〉によると、次の事実が認められる。

被害者栗林ふ志は、明治四一年五月二〇日生れ、本件事故当時七四歳、身長一四七cm、体重四三・三kg、胸部の厚さはおおよそ一八cm位(推定)の女性である。解剖の結果による被害者の傷害の部位、程度は以下のとおりである。

(外部所見)

右乳房上方に手掌面大の皮膚変色、六条の線状擦過創があり、一部革皮様化している。皮下出血がある。

背部中央正中部に内径二cm、外径三cmのドウナツ型の表皮が剥離した擦過創があり、革皮様化している(以下「背中の傷」という。)。

左肩甲部から左後上腕部にかけて一〇×一四cmの赤紫色の皮膚変色、擦過創がある。

左肘関節を中心に一一×一二cmの皮膚変色があり、革皮様化している。粟粒から小豆大の皮膚損傷多数がある。

右上腕外側から肘関節の下方にかけて二〇×九cmの皮膚変色があり、多数の線状擦過痕がある。

左大腿外側上方に四×一・五cmの青色皮膚変色があり、内部に一〇×七cmの広範囲に皮下、筋肉内出血がある。

右大腿上部背面に一〇×一〇cmの青色皮膚変色があり、内部に一八×一〇cmの広範囲に皮下、筋肉内出血がある。

(内部所見)

左鎖骨が胸鎖関節から九cmの部位で骨折している。

左第三ないし第八肋骨が骨折し、左第六肋骨は背部でも骨折して左胸腔内に約四〇〇mlの血液がある。また、左内胸壁は全体にわたり奨膜下出血がある。

左肺下葉上部背面に左第六肋骨々折に対応する部位に一×二cm、深さ〇・五cmの損傷がある。

下腹部全般の腹膜下に広範囲の出血があり、背面に著しい。

死因は、身体の背面より力が加わり、左胸部を圧迫した結果肋骨が骨折し、そのうち左第六肋骨は背面でも骨折し、骨折した肋骨が左肺下葉上部背面を損傷し、右肺損傷に基づく失血死である。

二本件事故当日の被害者及び被告人の行動

〈証拠〉によると、次の事実が認められる。

本件事故当日は坂城町のゲートボール大会が開催され、午後四時頃からセンターにおいて金井地区の慰労会が行われ、被害者、森田はる子、塩入豊子らは右ゲートボール大会及び慰労会に参加したが、夕方から俄雨となり、慰労会の終了後雨が小降りになるのを待つて参加者は帰宅し、被害者は午後七時頃森田はる子と共にセンターを出て帰途についた。センターに残つていたのは被告人の父松治と塩入豊子であつた。被害者は小雨の中を森田はる子のさす傘に入り、町道南三七号線を、町道産業通り一号線に向つて歩いているとき、産業通りへ一一・六mの地点で後方から塩入豊子に呼び止められ、被告人の運転する普通貨物自動車(以下「本件車両」という。)に同乗するように誘われ、森田はる子と別れてセンターの方へ引返した。森田はる子はそのまま産業通りへ出て徒歩で自宅へ帰つた。塩入豊子は、センターの南西角付近の町道南三七号線上で被告人の運転する本件車両と出会い、これに同乗する際被害者を呼び止めたもので、塩入豊子が被害者を呼び止めた地点(別紙図面B地点)と被害者との距離は約三五m位である。なお、被害者が呼び止められた地点(別紙図面C地点)から、倒れているのを発見された地点(A地点)までの距離はおおよそ五〇m位である。

被告人は、本件事故当日の午後、前記慰労会の準備のためセンターへ赴いた後自宅に帰り、午後七時五分頃センターにいる父松治を迎えに行くため自宅を出て本件車両を運転し産業通りを右折して町道南三七号線に入り、間もなく老女二人連れとすれ違い、前記B地点においてセンターから出てきた塩入豊子に出会い、同人を同乗させるべく停車した。(その際、塩入豊子は被害者を呼び止めて手招きした。)塩入豊子を助手席に同乗させた被告人はセンターの敷地に入り、玄関前に車を止め、玄関前に出て待つていた松治と共に慰労会の残り物を入れたダンボール箱二個を本件車両の後部ドアを開けて積み込み、松治を後部座席に乗せて直ちに発進し、右にハンドルを切つて低速で後退して停止し、前進して左にハンドルを切つてセンターを出た。当時小雨が降つていたが戸外は薄明るく、近くにいる人の顔が判別し得る程度の明かるさであつた。前記B地点からセンターの玄関までの距離はおおよそ二五m位であり、被告人がB地点を発進してからダンボール箱を積み、後退して方向転換をし発進するまでに要した時間は一分程度であつた。被告人は、センターの玄関前でダンボール箱を積み発進する際、センターの敷地内に人影を見ておらず、被告人が本件車両を後退させて停止した地点は被害者が倒れているのを発見された地点(A地点)に近いが、被告人及び同乗していた松治、塩入豊子らは、後退する際に衝撃を感じたことはなく、人の声も聞いていない。被告人は本件車両を運転してセンターを出て、町道南三七号線及び産業通りを被害者の姿を探しながら走行し、塩入豊子を同人宅に送り届け、再度産業通りを通つて自宅へ帰つた。

三本件車両及び被害者の着衣の痕跡等

〈証拠〉によると、次の事実が認められる。

本件車両は、全長四・六七m、車幅一・六九m、車高一・五〇m、車両重量一四〇五kg、最大積載量五〇〇(四〇〇)kgの普通貨物自動車(ニッサングロリア・バン、五三年式)である。本件車両の前部、両側部、後部(バンパー、ナンバープレート、リアウインドガラス等)に新しい衝突痕、擦過痕は認められない。車両底部にも衝突痕は認められないが、底部右側部分には後部からプロペラシャフト後端付近まで広範囲にわたり払拭痕が認められる。右払拭痕の認められる部位の地上高は、スペアタイヤ底部三〇cm、ガソリンタンク底部二七・五cm、リアアクセルケース二六・五cm、リアケーブル底部二五cm、ユニバーサルジョイント二四・五cm、板バネ底部二一cm、デファレンシァルギアケース昭和五七年七月二五日付実況見分調書によると一七cm、昭和五八年八月五日付実況見分調書によると一八・五cm、スプリングコート一六cm、ショックアブソーバ一五・五cmである。なお、本件車両の後部、底部を検分し、払拭痕の存在する箇所から微物を採取して検査したが、被害者の着衣の繊維、毛髪等の付着は発見されていない。

被害者が着用していた衣服のうち、ブラウス、スラックス等に損傷はなく、ブラウスの左袖、背面中央部から下の部分及びスラックスの前面両膝付近、背面右大腿上側部、左大腿外側部に黄土色の汚水が付着している。ブラウス、スラックスのいずれにもタイヤ痕はない。

四捜査の経緯

〈証拠〉によると、次の事実が認められる。

昭和五七年七月一〇日午前一〇時四四分更埴警察署は、更埴中央病院大西雄太郎医師より、入院中の被害者が肋骨を骨折しており、交通事故の疑いがある旨の電話連絡を受け、直ちに交通課長らが同病院に急行し、右大西医師らから事情を聴取した結果交通事故の可能性があるものと認め、前夜被害者の救急活動をした戸倉上山田消防本部勤務の北村友昭から事情を聴取した後本件現場に赴き、被害者が前夜本件現場に倒れていたことを確認した。同日午後一時頃交通課より連絡を受けた同署刑事課では大沢課長以下下井二男、村沢常也、小林和夫ら数名の捜査員が鑑識課長と共にセンターに赴き、被害者の倒れていた場所をA地点と特定確認した。呼出しを受けた被告人が同日午後三時頃、本件車両を運転してセンターに赴いたところ、下井二男らは本件車両の底部を見分し、埃が落ちた払拭痕を発見し、被告人に前夜の本件現場における後退、前進の状況を再現させ、本件車両が本件事故に関係があり、被告人に嫌疑があると判断した。そこで、下井二男は直ちに被告人を本件事故の被疑者としてセンターの事務室において取り調べ、次いで更埴警察署に被告人を同行して同日午後六時頃から午後一一時頃まで取調を行い、一方、村沢常也は同日午後三時三〇分より午後六時までの間、本件現場及び付近一帯の実況見分を行つたが、本件事故が本件車両によるものであることを裏付ける証拠は発見されなかつた。そして、刑事課の前記捜査員らは、塩入豊子、栗林み、村田松治ら参考人から事情を聴取したほか、七月一一日午前八時五〇分から午後二時までの間、更埴警察署において小林和夫が被告人立会のもとに本件車両の実況見分を行い、その際、樋口伸夫は本件車両の底部(七か所)及び後部から微物を採取し、同日午後七時一五分から八時三〇分までの間、村沢常也はセンター前の町道南三七号線の通行車両の状況について実況見分を行つた。翌七月一二日には、午前九時五〇分から午前一一時四〇分までの間、村沢常也が前記町道南三七号線における本件車両の走行と被害者とのすれ違い状況等について、午前一一時四〇分から午後零時二五分までの間、矢沢宏一が本件現場において本件車両の運転席からの後方の見通し状況について、午後二時四〇分から午後四時一五分までの間、樋口伸夫が更埴警察署において、被害者の着衣の汚染状況について、いずれも被告人立会のもとに実況見分を行つた。また、昭和五八年七月三一日、村沢常也が更埴警察署において、本件車両と同型式のニッサンセドリック・バンについて、その車両底部の地上高について実況見分を行つた。

次いで、更埴警察署刑事課では、本件車両底部のデファレンシァルギアケース(以下「デフ・ギアケース」という。)のプラグ(以下「本件プラグ」という。)、被害者が着用していたブラウス、及び被害者の背中の傷の写真を添えて、長野県警察本部刑事部科学捜査研究所に鑑定を嘱託し、昭和五七年八月四日、「背中の表皮損傷の痕跡は、本件プラグにより印象された可能性がある。ブラウスの痕跡と背中の表皮損傷の痕跡との対照は困難である。」との吉沢忠男作成の鑑定書を受領し、前記捜査員らは、前記捜査の結果及び右鑑定の結果より、被害者の背中の傷は本件プラグによる損傷であると判断するに至つた。八月四日、下井二男は、被害者の背中の傷の写真及び本件プラグを示して、再度被告人の取調を行つた。

なお、被害者着用のブラウス、スラックスと採取した前記微物及び右ブラウス、スラックスと本件車両から採取したデファレンシァルギアオイルについても、前記科学捜査研究所に鑑定を嘱託したが、微物についての鑑定の結果は、「微物から若干の繊維片を検出したが、着衣の繊維と同種のものとは認められない。」とあり、ギアオイルについての鑑定の結果は、「スラックスからの抽出物中に石油系油類の混入が推定されたが、微量の上汚染が著しく異同の識別は不能」であつた。

以上の捜査の結果、刑事課長以下の捜査員は、本件事故の態様について、被害者が立つているところに本件車両が衝突したものであるかどうかは明らかでないが、被害者がうつ伏せに倒れているところへ本件車両がその底部で背中を強圧した結果被害者に肋骨々折等の傷害を負わせたものであり、背中の傷は本件プラグにより生じたものであるとの判断に達した。

被告人は、下井二男の二回の取調に対し、本件現場において後退するとき後方を確認した旨、後退に際し衝撃を感じたことはなく、衝突したことは全く気がつかなかつた旨供述し、被害者との衝突及び轢過の認識の点については否定していたものの、「もしかすると被害者を轢いてしまつたかも知れない。そうだとすれば、申訳ない。」旨供述していたが、同年一一月九日の検察官の取調に対しては明確に否認するに至つた。

五本件車両と被害者との衝突の有無等

(1)  上記認定事実、即ち、被害者が倒れているのを発見された日時、場所、被害者が当時センターからの帰途呼び戻され、センターに向つて引き返したと推定されること、被告人が本件車両を運転して父松治を迎えにセンターに赴いた時刻、センター敷地内での本件車両の運転状況等によると、本件車両が本件現場において後退した際、折柄来合わせた被害者に車両後部を衝突転倒させたかの如くみえる。しかし、これを仔細に検討すると、次のような疑問が残る。

前記のとおり、被害者の右大腿部上部背面には本件車両の後部バンパー上部の高さに相当する部位に打撃を受けたことを推認させる傷害がある。このことは、本件車両後部が背後から被害者に衝突したことを推認させるものである。ところで、江守一郎作成の鑑定書及び証人江守一郎の尋問調書によると、立つている人に背後から車両が衝突した場合、人は足をすくわれた恰好になり、車両後部に身体の背部が衝突した後地上に転倒することが認められるが、被害者には右大腿部の傷害のほか、後頭部、腰部等に本件車両の後部と衝突したことを推認させる傷害は見当らない。左肘関節部の皮膚損傷は背後からの打撃を窺わせるが、これに伴う粟粒から小豆大の多数の皮膚損傷は本件車両後部との衝突痕としては不自然である。また、本件車両が背後から被害者に衝突し、被害者をうつ伏せに押し倒したものであれば、顔面、膝部等身体の前面に何らかの損傷或いは痕跡を生ずるものと考えられるが、被害者にはそれらの痕跡は見られない。のみならず、被害者が頭を南西に向け、足を東に向けて倒れていた状況と一致しない。この点については、被害者が押し倒された後に自力で身体を動かすことも予想し得るが、意識のない被害者が身体の向きを一八〇度変える程動けるかどうかは甚だ疑問であり、倒れていた被害者の頭の付近に携帯していた物品があつたことは倒れた被害者が身体の位置を変えていないことを物語るものといえる。他方、本件車両の後部バンパー、ナンバープレート、リアウインドウガラス等に被害者との接触を推認させる衝突痕、接触痕等の痕跡は全く見られない。これらのことから更埴警察署の捜査員も被害者が立つているとき本件車両が背後から被害者に衝突したものであるとの明確な心証を形成するに至らなかつたものと窺われる。

そして、本件車両が本件現場で後退した際被害者に衝突したとすれば、被告人のみならず、同乗していた松治や塩入豊子もその衝撃を感ずるのが通常であるが、三名ともその衝撃を感じておらず、この点はその後の当夜の被告人の行動からも窺い知ることができる。また、前記のとおり、被告人が松治を迎えにセンターに赴いた当時戸外はまだ薄明るく、近くにいる人の顔が識別できる程度であり、松治はセンターの玄関前に出て本件車両が入つて来るのを見ていたこと、松治と被告人が本件車両の後部ドアを開けてダンボール箱を積込んでいることなどから、被害者がセンターーの敷地内に入つてくれば、被告人も松治もその姿に気がついた筈であるのにこれに気がついた事実は認められない。

これらの点を考えると、本件車両が背後から被害者に衝突し、被害者を転倒させたものと俄かに断定し難いところがあるといわざるを得ない。

(2)  次に、うつ伏せに倒れている被害者に対し、本件車両が後退して車両底部で被害者の背部を強圧した事実(車両の底部により被害者の身体が地面に押しつけられた状態)が認め得るかについて検討する。更埴警察署捜査員は、本件プラグにより被害者の背中の傷が生じたものであると判断しているが、証人大沢富儀は、その態様について、「本件車両が後退した際被害者は足の方から車体の下に入り込み、頭は車体の外に出ていた」旨供述している。しかし、右供述は右の判断と明らかに矛盾する。即ち、本件車両のデフ・ギアケース(本件プラグのついている位置)と後部バンパーまでは一一〇cmであり、被害者の頭頂部から背中の傷までは約四〇cm位であるから、本件プラグにより背中の傷が生じたとすれば、被害者の身体は完全に車体の下に入り、頭部はタイヤケース或いはガソリンタンクの下になることが明らかである。そうすると、被害者は背中の傷のみでなく、頭部、顔面等に何らかの損傷、痕跡を生ずるものと推認されるが、被害者の頭部、顔面等にそれらの損傷、痕跡は全く見られない。逆に、頭部が車体の下に入つていないとすれば、本件プラグにより背中の傷が生ずる余地がないことはいうまでもない。

被害者の身体の全部が本件車両の下に入つたものとして、本件プラグにより背中の傷が生ずるか否かについて、前記のとおり、被害者の胸の厚さを一八cmと推定すると、本件車両のデフ・ギアケースの地上高は一七cmないし一八・五cmであり、そのやや斜め上に本件プラグが付けられているから、一八・五cmとすれば、うつ伏せになつている被害者の背部にデフ・ギアケースが接触するかしないかという程度であり、背部を強圧するに至らないことは明らかである。また、一七cmとしても、背部に接触するものの、背中の傷を生じ肋骨が骨折する程背部が強圧され身体が地面に押しつけられるか否かについてなお疑問が残る。車体の下で被害者の身体が動くこともあり得ると思われるが、身体が動いている状態で背部が強圧されるものとは考えられず、そのような場合には他の部位頭部、腰部等にも損傷を生ずるのが通常であると推認される。

このようにみてくると、本件車両の底部が被害者の背部を強圧し、本件プラグにより背中の傷が生じたものと認めるのはいささか困難であるということになる。なお、デフ・ギアケースより地上高の高い部分で背部が強圧されることはないし、地上高の低いショックアブソーバー、スプリングコートはいずれも車輪のすぐ内側にあり、同部分に被害者の背部が接触し強圧される状態になれば、被害者の身体の一部は後輪に轢過されるものと推認される。これらの点は、被害者と等身大の人形等を用いて実験すれば、比較的容易に判明することであろうが、捜査の過程でこのような実験がなされた事実はない。

なお、江守一郎作成の鑑定書によると、本件プラグの形状、位置等から本件車両が後退しつつその底部で被害者の背部を強圧した場合に、被害者に「背中の傷」が生ずるか否かも疑問であり、この点に関する吉沢忠男作成の鑑定書及び証人吉沢忠男の証言は、「本件プラグを真上から人体の皮膚に押しつけた場合、被害者の背中の傷のような痕跡が残る可能性がある。」というに止まるから、右鑑定書及び証言をもつて本件車両が被害者の背部を強圧したことを認めるには不十分である。

以上のとおり、本件車両の底部に払拭痕の存在は認められるが、本件車両が後退する際背後から被害者を押し倒し、車両の底部で被害者の背部を強圧し、被害者に対し、前記肋骨々折等の傷害を負わせた事実を認めることは困難であり、合理的な疑いを容れる余地があるといわざるを得ない。

江守一郎作成の鑑定書及び証人江守一郎の証言は、本件車両は後退しつつ仰向けに倒れている被害者の右胸部から左肩付近に右後輪で乗り上げて停止し前進に伴い被害者の身体は仰向けからうつ伏せに反転したとしているが、被害者の着衣にタイヤの痕跡がないこと、被害者の右腕、右胸部、右肋骨等に損傷がないこと、被害者の身体が反転したとすれば他にも頭部、顔面、腰部等に損傷が生じ、着衣にも損傷が生ずると考えられるのにそれらが見られないこと、右結論は実験によつて得られたものではないことなどからたやすく採用することはできない。

以上の次第で、結局、本件公訴事実についてはこれを認めるに足りる証拠がないことに帰する。

第三公訴棄却の申立について

弁護人は、本件公訴は刑事訴訟法三三八条四号の「公訴提起の手続がその規定に違反したため無効であるとき」に該当するので、棄却されるべきであると主張し、その理由として、(一)被告人の捜査官に対する供述調書は捜査官の脅迫或いは誘導など違法な取調により作成されたもの、実況見分調書は予断と見込捜査により作成されたものであり、また、参考人の供述調書は改ざんされており、いずれも違法性が高い。(二)被告人に対し公訴を提起するに足りる証拠がなく、被告人には嫌疑がないことが明らかであるのに敢えて公訴を提起したもので公訴権の濫用である。(三)本件起訴状記載の公訴事実は訴因としての明確性を欠き違法である。としている。しかしながら、(一)証人大沢富儀、同下井二男、同村沢常也の証言によると、被告人及び参考人の司法警察員に対する供述調書、実況見分調書はいずれも適法に作成されたものであることが認められ、捜査に違法は認められず、(二)前記認定事実によれば本件公訴の提起が検察官の裁量権を逸脱したものとは到底認められないし、(三)本件公訴事実の記載が訴因の特定を欠くものでなく、かつ、検察官は衝突の態様について釈明しており、公訴の提起に違法はない。

従つて、弁護人の右主張は理由がない。

第四結語

よつて、刑事訴訟法三三六条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官蘒原 孟)

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